ケツメイシ << 吉野家の牛丼
私はケツ4しか聴いたことがないけれども、ケツメイシというグループは現代の若者に向けて作られた優れた『演歌』だと断定する。(断定かよ)
演 歌 。
だって曲調が違うじゃないか?という意見がある人も居よう。いやいや、ケツメの曲こそうわべだけをHIPHOPとやらでデコレートした、実は”ど演歌”なのである。そこを気付かせないのが、謂わばケツメイシの才能であり上手なところ。
例えばヒットした『さくら』。
メロディーのRhythm&Tempoを少々変更することにより、氷川きよし等に歌わせると、非常にハマると思う。充分氷川でイケる。
ま、演歌でも通用するのだが、敢えて言えば70年代のフォークにも通づる所があるわな。『さくら』とか『東京』の歌詞を聴いていると、イルカの名曲を思い出す。
汽車を待つ君の横でぼくは
時計を気にしてる
季節外れの雪が降ってる
「東京で見る雪はこれが最後ね」と
さみしそうに君がつぶやく……
なごり雪。そう、殆どの日本人の情感に訴える名曲。
わび、さび、季節、別れ、若い頃への郷愁。
これなんだな。若い頃への郷愁。ケツメイシはこれを利用し、曲作りをしてるのは間違いないだろう。
しかし、、
もろ「フォーク」で行ったんじゃ、21世紀の若者に受け入られるか?というと疑問。おそらく「おう、HIPHOPてのが流行ってるらしい。それでいこう!」っちゅうことで、ラップの部分を付加する。
私の友人がコンビニで『さくら』がかかってて、思わず言った言葉がある。
「何これ?こんなのが流行ってんの?ラップにしてはダサ過ぎるなあ、、、まあサビが万人に受けそうな音楽だな。まあ、しかし、こういうのが流行るから日本の音楽って進歩が緩いんだよな。」
私は、日本の音楽界に、ケツメイシが悪影響を与えているとは思わない。
誰にでも(子供や老人にも)分かりやすい、メロディアスなサビの部分。
♪さくら舞い散る中に忘れた記憶と 君の声が戻ってくる
吹き止まない春の風 あの頃のままで
君が風に舞う髪かき分けた時の
淡い香り戻ってくる
二人約束した あの頃のままで
ヒュルリーラ、ヒュルリーラ・・・
いや、ここは日本人の痛い所を突いてると思うよ。お見事。
こういう歌詞とメロディーを書くことができるという才能は認めざるを得ない。
ただラップの部分がいけない。
16分音符に歌詞を載せては居るんだが、感じられるBEATが8どころか4。
そう、四分音符 「どん、どん、どん、どん」の上で歌ってるのである。
(和太鼓でも4分音符で鳴らしてればフィットしそう)
このダサさは特筆もの。
例えば比較しては可哀相だが、Rip Slymeのラップの部分は16ビートの裏を突いてくる。バックのギターのカッティング、ベースライン、打ち込みor生ドラムのランダム且つ怒涛のリズム。これらが16ビート或いは32ビートが感じられるリズムを作り出し、ヴォーカルがその上で正確で、時にはわざと外した16ビートを歌う。こういうのがラップの醍醐味なんだよな。
Rip Slymeのヴォーカルのメロディーは、2本線の16分音符多用、1拍3連、2拍3連、たまに楽譜に出来ないビートも存在する。例えばだ、
♪エンドからエンドまでコンプリート どこまでも続く道はコンクリート
足元に広がるUnderworld 知ってますか、その美しさを
今、この街より愛を込めて
この主旋律は譜面にできない。
まあ、音楽が好きかどうかなんて、個人的な主観によるものが大きくて、要するに好みな訳で、Rip Slymeの方がケツメイシより優れているとは私も言うつもりはないが、はっきりしていることは、『少なくともRip Slymeの方がケツメイシよりも高度な音楽理論に基づいた曲作りをしている』ってこと。
ケツメイシのラップ部分って、悲しいかな「お坊さんのお経」状態なんだよね。
和太鼓ならぬ木魚を四分音符で叩きながら、「なんみょーほれんげぎょう・・・」。
(言い過ぎたか?)
しかし、ケツメイシみたいなグループもやはりこの世では確実に必要とされる。
まず楽器を演奏したことのない人とか、「楽曲を音楽というより、ドラマや映画みたいなモノとして楽しみたい」タイプの人々。
ケツメイシの音楽は見事にその要望に答えている。私の妹の家族がそうだ。父親、母親、姉、弟の4人で好んで聴いている。それはそれで幸福な家庭だ。「おう、たまにはハンコックとかブラームスとか聴いてみたらどうだ?」 「それって流行ってんの?」 「分からない。」 「じゃあいい。忙しい」
忙しい人には、イルカの「なごり雪」とか、ケツメイシの「願い」とかいいんじゃない?
手軽に郷愁あり情感ありの世界に連れてってくれそう。

それだけじゃない。
高度な音楽理論を理解していて、あらゆるジャンルの音楽を聴き、いくつかの楽器も演奏したりする種類の人々も、たまにはケツメを聴いて『ああ、オレ(わたし)日本人だわ』って感じると思う。
懐石からイタリアン、フレンチ。美食も度が過ぎると、やっぱ吉野家で牛丼を食べたくなる。
低質で低俗なものほど、人間にはいかんせん必要なのだ。
ただ、
吉野家の牛丼は、私個人的にはやめられない。
しかしケツメイシを聴くのをやめろ、と言われれば、まあ「分かりました」とすんなりやめることが出来るだろう。
演 歌 。
だって曲調が違うじゃないか?という意見がある人も居よう。いやいや、ケツメの曲こそうわべだけをHIPHOPとやらでデコレートした、実は”ど演歌”なのである。そこを気付かせないのが、謂わばケツメイシの才能であり上手なところ。
例えばヒットした『さくら』。
メロディーのRhythm&Tempoを少々変更することにより、氷川きよし等に歌わせると、非常にハマると思う。充分氷川でイケる。
ま、演歌でも通用するのだが、敢えて言えば70年代のフォークにも通づる所があるわな。『さくら』とか『東京』の歌詞を聴いていると、イルカの名曲を思い出す。
汽車を待つ君の横でぼくは
時計を気にしてる
季節外れの雪が降ってる
「東京で見る雪はこれが最後ね」と
さみしそうに君がつぶやく……
なごり雪。そう、殆どの日本人の情感に訴える名曲。
わび、さび、季節、別れ、若い頃への郷愁。
これなんだな。若い頃への郷愁。ケツメイシはこれを利用し、曲作りをしてるのは間違いないだろう。
しかし、、
もろ「フォーク」で行ったんじゃ、21世紀の若者に受け入られるか?というと疑問。おそらく「おう、HIPHOPてのが流行ってるらしい。それでいこう!」っちゅうことで、ラップの部分を付加する。
私の友人がコンビニで『さくら』がかかってて、思わず言った言葉がある。
「何これ?こんなのが流行ってんの?ラップにしてはダサ過ぎるなあ、、、まあサビが万人に受けそうな音楽だな。まあ、しかし、こういうのが流行るから日本の音楽って進歩が緩いんだよな。」
私は、日本の音楽界に、ケツメイシが悪影響を与えているとは思わない。
誰にでも(子供や老人にも)分かりやすい、メロディアスなサビの部分。
♪さくら舞い散る中に忘れた記憶と 君の声が戻ってくる
吹き止まない春の風 あの頃のままで
君が風に舞う髪かき分けた時の
淡い香り戻ってくる
二人約束した あの頃のままで
ヒュルリーラ、ヒュルリーラ・・・
いや、ここは日本人の痛い所を突いてると思うよ。お見事。
こういう歌詞とメロディーを書くことができるという才能は認めざるを得ない。
ただラップの部分がいけない。
16分音符に歌詞を載せては居るんだが、感じられるBEATが8どころか4。
そう、四分音符 「どん、どん、どん、どん」の上で歌ってるのである。
(和太鼓でも4分音符で鳴らしてればフィットしそう)
このダサさは特筆もの。
例えば比較しては可哀相だが、Rip Slymeのラップの部分は16ビートの裏を突いてくる。バックのギターのカッティング、ベースライン、打ち込みor生ドラムのランダム且つ怒涛のリズム。これらが16ビート或いは32ビートが感じられるリズムを作り出し、ヴォーカルがその上で正確で、時にはわざと外した16ビートを歌う。こういうのがラップの醍醐味なんだよな。
Rip Slymeのヴォーカルのメロディーは、2本線の16分音符多用、1拍3連、2拍3連、たまに楽譜に出来ないビートも存在する。例えばだ、
♪エンドからエンドまでコンプリート どこまでも続く道はコンクリート
足元に広がるUnderworld 知ってますか、その美しさを
今、この街より愛を込めて
この主旋律は譜面にできない。
まあ、音楽が好きかどうかなんて、個人的な主観によるものが大きくて、要するに好みな訳で、Rip Slymeの方がケツメイシより優れているとは私も言うつもりはないが、はっきりしていることは、『少なくともRip Slymeの方がケツメイシよりも高度な音楽理論に基づいた曲作りをしている』ってこと。
ケツメイシのラップ部分って、悲しいかな「お坊さんのお経」状態なんだよね。
和太鼓ならぬ木魚を四分音符で叩きながら、「なんみょーほれんげぎょう・・・」。
(言い過ぎたか?)
しかし、ケツメイシみたいなグループもやはりこの世では確実に必要とされる。
まず楽器を演奏したことのない人とか、「楽曲を音楽というより、ドラマや映画みたいなモノとして楽しみたい」タイプの人々。
ケツメイシの音楽は見事にその要望に答えている。私の妹の家族がそうだ。父親、母親、姉、弟の4人で好んで聴いている。それはそれで幸福な家庭だ。「おう、たまにはハンコックとかブラームスとか聴いてみたらどうだ?」 「それって流行ってんの?」 「分からない。」 「じゃあいい。忙しい」
忙しい人には、イルカの「なごり雪」とか、ケツメイシの「願い」とかいいんじゃない?
手軽に郷愁あり情感ありの世界に連れてってくれそう。

それだけじゃない。
高度な音楽理論を理解していて、あらゆるジャンルの音楽を聴き、いくつかの楽器も演奏したりする種類の人々も、たまにはケツメを聴いて『ああ、オレ(わたし)日本人だわ』って感じると思う。
懐石からイタリアン、フレンチ。美食も度が過ぎると、やっぱ吉野家で牛丼を食べたくなる。
低質で低俗なものほど、人間にはいかんせん必要なのだ。
ただ、
吉野家の牛丼は、私個人的にはやめられない。
しかしケツメイシを聴くのをやめろ、と言われれば、まあ「分かりました」とすんなりやめることが出来るだろう。

