わたしの、何事に関してもマイペースさを奪い去ったドラマがあった。
【高校教師】 1993年 / 真田広之 桜井幸子
これこそはドラマの金字塔。六甲山よりシナイ山より高くそびえたつ、日本ドラマの最高峰だ。

これは ↑ わたしの好きなシーンのひとつなのだが、桜井幸子の白目がとてもいい。
というか眉も鼻も口元も、すべてがファスシネイティングと言える。
このショットだけで2人の演技力の高さがうかがい知れるというものだ。
桜井幸子はすごい。
真田もいい。
なんせこの2人は、日本海沿いのローカル線の車内で、小指と小指に赤い糸をつないでけりをつけたのだ。
なんという脚本。なんという野島。
まあ鎌倉に行って外泊とかダレる部分もありながらも、最後はきっちりとけりをつけた。
最も美しい、ジャパネスクな方法で。
赤い糸
それは赤い毛糸でなければならず、それを容認できる真田先生の懐の深さが必要だ。
桜井幸子が赤い糸を、、噛んで蝶結びにするとき、もう最終回のエンドロールが流れる。
えっ!!・・・終わっちまうのか!
感動の嵐。教師と生徒という背徳的恋愛の終結。
いやしかし、これぞまさしく永久(とわ)の愛。
2人は永久の愛を手にした。
ドル・円が70円台に突入した。
わたしは思うのだが(というか受け売りだが) アメリカという国体は近いうち崩壊すると思う。
その前後に、やはり戦争だ。

共産主義ってやはり、人間にふさわしいイデオロギーなのか?
独裁国家による支配者と被支配者の関係こそが、安定を生み長続きするんだろうか?
動物の世界を考えてみて欲しい。やはり弱肉強食、そして優れたオスが多数のメスに種付けする。
ただしバッタとかが異常発生する時がある。
やはりそういうこともなければ、地球はおもしろくはない。
人は牛の肉を食う。それはいい。
しかし松坂や千屋牛は食われるために育てられる。
それはそのー、やはり人間はあつかまし過ぎる。
そんなことをするべきではないと思う。
高校教師の冒頭、井の頭線のガード下を歩く無数の女子高生たちの光景。
それは大量発生したバッタのようでもあるが、それぞれはそれぞれの親がいて、家庭の事情があり、それぞれの定期券を購入し、改札を通る。
93年当時は自動改札ではないのだ。
昔は切符に穴をあける名手の駅員が各駅にいた。
改札で乗客を待ちながら、穴あけ機(パンチ)を 「コンココンコ、コンコンコン、コンココンコ、コンコンコン」 とリズミカルに鳴らしていたものだ。シャッフル的に。
ラストシーンは緻密な技術とセンスが集約されている。
車掌が2人を起こそうとするが起きない。
そして桜井幸子の右手がアップされ、手すりからブランと垂れ落ちる。
寄り添うふたりに続き、車窓が映しだされ、列車はトンネルに入り、入ったからこそ窓ガラスに指で書いた少女らしい猫の絵が浮かび上がる。
エンド。
ガラスを曇らせないといけない。
列車がトンネルに入る時間を逆算して、車掌を登場させなければならない。
・・・あ、そうでもないか。何度か別のテイクでいけばいいか。

赤い糸でつながれた二人の手。
その立体的に絡み合う状況をぼんやり見ていると、桜井幸子のさまざまな場面でのさまざまな表情が思い浮び、野島のセンスたるや、と痛感する。
男のくせに泣いてくれた