スポンサーサイト

-- --, --
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

数学科 クラス会

06 24, 2012
 
関内で大学時代のクラスの同期会をやった。
TGちゃん、Wちゃん、Sちゃん、Hちゃん、TKちゃん、俺。

われわれは1982年、横浜郊外、保土ヶ谷区の緑に囲まれた丘で出会った。
その丘には木々が立ち、白い校舎群もぽつぽつと建っていた。
大学の敷地内には大きな野外音楽堂があり、1年の頃はそこでよく何か食った。
われわれは教育学部数学科というとこに籍を置き、4年間をその丘で過ごした。
(わたしは6年間だが)

http://www.geocities.jp/babylonsist/bbs/image/univ/math_1b-class.jpg

バイクやクルマで学校に通う前は、わたしは石川町のアパートから電車でこの丘まで通った。
石川町から根岸線で横浜。横浜から相鉄線で和田町。
そして待っているのが浜銀の脇を入って大学までの激しい坂道だ。
田舎から出てきた18歳の僕は、『こんなはずじゃなかった』との思いで、毎朝この狭い坂道&階段を上った。
上りきったところに、常盤公園というテニスコートのある晴れやかな公園がある。

明治末期、横浜市域の発展によって人口が急増し公園施設の不足が問題になり、保土ケ谷の富家であった岡野欣之助が、自らの資産を投じて常盤台一帯に所有していた別荘「常盤園」を造成し、大正3年10月に一般公開したという。
この公園まで来ればあとは楽だ。
わたしは入学当初左手の甲に擦り傷があり、通学中になめつつ坂を上り下りしていた記憶がある。
そして、ひとり、ふたりとクラスに友人ができていった。

大宮出身で大船にアパートを借りたという伝説のHちゃん。
クラスで確か最初に友達になったかな?
Hちゃんの大船のアパートは、彼の人柄もあってか数学科のクラスの一部の人間にとってサロンのような役目をしていた。大船で遠いのに・・
TGちゃんなどは、50ccのパッソルで新宿に行った後大船に来たりしてたから、いかに若くて元気だったことか。
そしてそのアパートにはエビちゃんという男の子や、夜な夜なHちゃんの部屋を訪ねてくる結構きれいなお姉さんがいて、まるで大船のめぞん一刻だったな。

ある日、わたしが石川町のアパートに帰ると、うちに遊びに来たHちゃんとWちゃんがアパートの大家さんと一緒に飲んでたことがあった。
携帯電話が無い時代。それはそれで、色んな連絡方法があったし、『待つ』ってことも人々はしていた。
わたしが大学2年のとき交通事故で入院した時、クラスのみんなが見舞いに来てくれたが、TGちゃんがわたしのベッドで眠ったということもあった。

その頃には、クラスの仲間も中型二輪免許などを取り、色んなバイクに乗り始めた。
TKちゃんはVT250、TGちゃんもパッソルからVT250、わしはXL400。
最近はめっきりバイクを見かけることが少なくなった。
若者のエンジン離れが進んでいるのだろう。
わたしの学生時代はエンジンとともにあった。いつもバイクかクルマかのローンを払っていた。

収入: 仕送り7.5万、カレー屋のバイト8万
支出: バイクのローン、ドラムのローン、ガソリン代、家賃、光熱費、その他

毎月毎月、あるだけの金をすべて使ってきた。すべてだ。
金が無くなったらフルーチェの箱を開け、ボウルにフルーチェを作った。
食ってはタバコを吸い、食っては水を飲みしてた。

TKちゃんの家は大学の裏門の近くの4畳くらいの狭いアパートだった。
でかい彼はそこで3年間を過ごした。
狭いんだなここが・・
TKちゃんとはよく横浜の街をバイクで走った。VTっていいバイクだった。



土曜日の遅い時間の相鉄線の車内は、ざわざわと人々の会話が聞こえる。
わたしはiPhoneでaikoのえりあしを聴きつつ、車窓を流れる光をぼうっと見つめる。

ロック研の友人も、ジャズ研の友人もかけがえのないものだけど、クラスの友人もそうだ。
それぞれの人生。その人生はさまざま。
SちゃんはE県で教師を4年間やって、やめてSEになったという。
Sちゃんとはよくドライブをした。なんせ夜に強い男で、どこまで運転しても眠くならない。
彼の個性的な言動が記憶に残っている。

わたしは大学2年のとき、ある大物ミュージシャンにバンドをしないか、と誘われたわけだが、そのバンドをやっときゃ良かったと思うこともある。みんなそう言う。
しかしだ。そのバンドでデビューできるとは限らないし、そんな売れるか売れないかなど誰にも分かりはしない。
B'zはあの2人だったからこそ売れたのだ。

入学して間もなく、渋谷で合コンをして終電の時間過ぎたので、わたしとTGちゃんとHちゃんは、コンパに参加してたロック研の先輩の友人のマンションに泊めてもらった。
渋谷から恵比寿まで線路沿いを歩いたなぁ・・
それがきっかけで、TGちゃんとHちゃんは「メリールー」っていうサークルに入り、サークルって言うより遊び&旅行業集団か、、それが発展して「TOKYO LOVE CAT」になった。ラブキャットに入ってからの彼らは、夏は与論島行って真っ黒、冬は苗場行って真っ黒。年中遊び呆けていたが、仕事でもあったみたい。
スキー場のタコ部屋で食った野沢菜の話をするHちゃんはほんと懐かしそうだった。



こうやって旧友と再会できたのも、facebookのおかげだ。
Wちゃんは、わたしはオーストラリアかどっかで死んでるもの、と思っていたらしい。
えらい世の中だ。facebookのおかげだ。

今日はすっかり忘れてたことが話題になり、びっくり。
武蔵中原に住んでた頃、Sちゃんと会ったこと・・
藤沢に住んでた頃、結婚したてのWちゃんの新居におじゃましてメシ食ったこと・・
これらは スッカリ 忘れていた。
言われてみて、ああ・そういえば・・となんとなく思い出す。
不思議なものだ、人の記憶って。
誰かは覚えてるけど、誰かは覚えていない。

しかしわれわれは、1982~1986、まさに現実をたくましく生きていた。
シェーキーズの500円食べ放題でWちゃんが吐いたときもあった。
箱根一周した深夜、Sちゃんがこれからディズニーランド行こうか、と言った時もあった。
罰金払わずに逮捕された時もあった。
TGちゃんがほとんど授業出てないのにドイツ語通った時もあった。

そして今、2次方程式の解の公式を言える奴はほとんどいない。数学科なのに・・



TKちゃんはいまだに単車に乗っている。
バリバリ伝説に出てきたCB750Fの進化型だ。

winding-road-headlands-big.jpg

今度TKちゃんとツーリング行く約束をした。
しばらくそれを楽しみに、仕事に精を出すかな!



スポンサーサイト
21 CommentsPosted in Yokohama

フラのプレリュード

04 09, 2012
 

今日は名古屋から叔母がきて、寿司を食った。
満腹のところに、
『元祖!大食い王決定戦 爆食なでしこ乱れ咲き』をやってるじゃないか。
タイトルもすばらしいが、内容もすばらしい。男性のような髪型の女がいるし。
全国版ロケを敢行している。

この歳になってしまうと、食うことにしか興味がなくなる。
セブンイレブンでエロ雑誌をパラリと見ても何も感じない。何もだ。

でも三宅智子さんはかわいいじゃないかな。普通に。







Fula's PRELUDE

午後11時。石川町地蔵坂。
アパートにネム君とフラ君がやってきた。

ネム君はギター、フラ君はボーカル、僕はドラム。
バンドのメンバーだ。

「キシモト、ドライブ行こうか?」
「ナンパか?」
「今日はちょっとね、君にいいクルマに乗せてやろう」

3人で階段をおり、地蔵坂への路地をしばし歩く。
すると、このお地蔵さんの坂道に、なんともはやすばらしきクルマが路駐してあった。

「ゲッ!」

001_20120408215947.jpg

オレ「誰のクルマ?」
ネム「・・・」
フラ「・・・」

にやけながら、2人とも答えない。

ネム「じゃ、山手でも流そうか?」

ピッカピカのプレリュードだ。グレー。発売されたばかり。
フラ君が運転席に、ネム君は助手席、僕は後部座席。

オレ「フラ君、これ買ったの?」
フラ「ヘヘヘ・・」
ネム「これ4WSなんだぜ」

グレーの新品プレリュードは地蔵坂を上りきり、地蔵坂上の交差点で赤信号ストップ。
そしてなんと小型CDプレイヤーが、設置されてるではないか?

フラ「これ、クルマに乗っけてると針飛びすんだよね」(針飛びとはまたアナログな言葉)

人間のテクノロジーというものはどうしたものか?
初めてCDを見たとき、これはどういった仕組みなのか唖然とした。
アルバムがあんなちっちゃな円盤に丸ごと入ってるのだからな。
そして値がこなれてきたころ、僕は大学の生協にて、たしか2万9800円で今から思えば大型ビデオデッキみたいにデカいCDプレイヤーを買った。安い買い物だと思った。
リピートとか、AB間リピートとか、5曲目から聴きたいとか、そうゆうことのできるハイテクに驚愕したものだ。
それが今や、持ち運べるとは・・

プレリュードは外人墓地方面に、左に鋭角に折れる進路をとった。

     スィーーーッ・・・・・!

オレ「やっぱすげえ、4WS効いてんじゃない、これ?」
ネム「キシモト今度の練習はさぁ」
オレ「バンドの話はどうでもいいからさ、、これフラ君の?」
フラ「・・・(ニコッ)」
オレ「フラ君買ったの?」
ネム「フラのおやじが買ったんだよ」

2国沿いの幸区にある市川畳店のおやじが、このプレリュード2.0Si 4WSを買ったというのか。

オレ「いつ買ったの?」
フラ「今日(ニコッ)」
オレ「すっげー!すげーかっこいい!」

クルマはフェリス女学院前を通過。ほどよくカーブした山手町の通り、そのカーブをしなやかに駆け抜けていくプレリュード。やがて左手に元町公園の森、それを抜けると視界が開け、ちょうど外人墓地を見晴らせる。

ネム「フラ、止めろ。何かいる」
オレ「あれオンナ2人連れじゃねーの?」
フラ「こんな夜中に・・」
ネム「おう、ちょっ、なんとかしろ」
オレ「なんとかしろ、っておめえ、おめえがどうにかしろ」
ネム「落ち着け、ここは落ち着くんだ」
フラ「これ4人乗りだから、あと2人乗ったら違反だよ」
ネム「そんなことはどうでもいいんだ!おまえら、ほらっ」

結局ネム君がクルマを降り、「お嬢さんたち・・」どうのこうのと言ってたみたいだが、ビシッと断られたようだ。

002_20120408223448.jpg

ネム「ちっ、ブスのくせしやがって」
オレ「ブスとわかってから声かけたのか?それとも声かけてからブスだと思ったのかどっちだ?」
ネム「・・・どっちだっていい」

丘公園の入り口の歩道にわがもの顔でどかぁーんと駐車。

ネム「きっと丘公園ならいるぜ」
フラ「こんな夜にこんなとこいる女の子はどうかなぁ?」
ネム「どうかなぁ?って決めつけちゃだめだ。先入観をなくしてプレーンな気持ちで行かなくちゃ」
オレ「どこに行くんだ。一回崖から新山下まで落ちろ、はは」

今日買った車なので一応車内禁煙らしく、ビカビカ・プレリュードを下りた僕たちは全員タバコに火をつけた。

オレ「やっぱ誰もいねーじゃん」
フラ「カップルばっかだね」
ネム「いや、待て。どこかにいる」
オレ「君はずいぶん前向きだな。なんというかそのー・・・ポジティブな」
ネム「なんだっていいよ」
フラ「キシモト君、最近学校行ってんの?」
オレ「行ってない。フラ君は?」
フラ「遠いから行ってない」(フラ君は美術大学)
ネム「俺の水曜日の日程を知ってるか?午前中渋谷で1コマ、そんで午後に厚木だ」
 (当時、青学は青山から厚木に一部移転。1年の授業の単位を落としたネム君は、
  厚木駅からバス便の厚木キャンパスにて1年の授業を受け直さなければならなかった。)
オレ「でも厚木ってどうなのよ?新入生でかわいい子いるだろ?」
ネム「誰とも話しない。オレだけ4年だから」
フラ「つらいね、それ」
ネム「・・・あっ、いた!いたんじゃね?」

またそうやって何の実りもないナンパの作業がはじまる。
女2人連れ。いつも思うんだが、どうして女2人で山下公園や丘公園にこんな時間に来るのだろうか?

ネム「君たちさぁ、こんばんは」

その日本語おかしくねーか?

ネム「あのさぁ、これから埠頭とか行って夜景でも見ない?」
女子「・・・」
オレ「・・・・・」
フラ「クルマあるから」
女子「・・・」
オレ「ちょ、あの、怪しいもんじゃないからさ」
女1「・・・いや、怪しい」

003_20120408230442.jpg


女2「もう終電なくなるから帰るの」
ネム「送って行こうか?家どこなの?」
女子「・・・・・・」
フラ「東京?埼玉?青物横丁?」
女1「ぷっ、・・・秘密」
ネム「じゃあさ、こっから石川町の駅まで送ってあげるよ」
女1「いいの、歩いて帰るから」
ネム「歩くと遠いよ、乗った方がいいんじゃない?」
女1「だって歩いてきたんだもん。帰りも歩くから」
ネム「でもさぁ、石川町までっつったら・・」

えんえんと続く不毛なやりとり。不毛な土地に玉ねぎの苗を植えるようなものだ。
コロラド州の赤土に、玉ねぎは育たない。

4744741806_eb7e1b84aa.jpg

ネム「ちっ、ブスがよ」

結局ほとんどの場合、そのセリフで終了するのであった。





0 CommentsPosted in Yokohama

歩道と車道の隙間に

10 13, 2011

午前2時帰宅。つかれた。
NHKをつけると「立山連峰・神々の住む山」というのをやっている。

今日は29年前のことを書こうと思う。
わたしが原付に乗ってたころの話。



国道15号。横浜東口近くの交差点の赤信号で停車。
僕の愛車はスズキ・ハスラー。50ccだ。
横に止まったマルの愛車も50cc。名前はよく知らないが原付のアメリカンだ。

僕らは山下公園通りにあるビルの2Fのカレー屋でアルバイトしてる仲間だ。
今日は仕事がおわって生麦のマルのうちに向かっている。

ビーーン、ビーーン
マルが意味もなくアクセルを吹かす。
ビーーン、ビーーン
僕もそれにならって空ぶかしをする。
マルが笑っている。

吉野家の牛丼に法外なショウガをぶっかけて食べることをマルに教わった。
あれはマルと出会ったその日。
「キシモトくん、牛丼食わない?」
と誘われ、桜木町の吉野家に行った。
「並!」「へい!並いっちょう!」
僕はマルの行為に驚いた。
並牛丼の肉の2倍ほどのショウガを、おもむろに盛りつけたのである。
僕は何か言おうとしたが言葉にならなかった。

何度も牛丼を一緒に食いに行った。
マルも僕も牛丼が大好きで、暇さえあれば桜木町へ行った。
僕はマルの朱色にそまった丼ぶりを横目に、徐々にショウガの量を増やした。
これがうまいのだ。
乗せれば乗せるほどに。
マルは更に、残りあとふた口くらいになったところで「辛みふりかけ」を多量にふりかけた。
あきれた。

生麦のマルのうち。2階のマルの部屋。貼られたアイドルのポスターがよれよれだ。
どこにでもありそうな19歳の男の部屋。
上着をとり、ふたり同時にタバコに火をつける。
あの頃は日本のほとんどの男がタバコを吸っていたし、場面が変わると男はまずタバコに火をつけていた。
必ずだ。
タバコの煙をくゆらせないことには何もはじまらないし、何もおわらない。
そんな時代だった。

無言で2人でタバコをふかし、コーラを飲む。
音楽がかかっていた。高中正義。
感想を語ることもない。ギターがどうだ、と語ることもない。
無言でコーラをあおり、タバコを次々と吸う。
マルの旧友がやってきた。昔の暴走族の仲間らしい。
彼は僕を見てにっこりすると、やはり無言でタバコに火をつけた。
3人が見つめ合うこともなく別々の方向に向き、高中を聴くでもなくタバコを吸っていた。

そのうち大黒町に行くことになり、3者無言で階段を下りた。
シャコタンのシルビアが止まっていた。
「買ったのこれ?」
マルの友達はうなずいた。
僕はシルビアの狭いリアシートに詰め込まれた。
「タバコ吸っていい?」「いいよ」
狭いながらもタバコを吸う。

彼の運転は無謀だった。というかおそらくヘタなのだろう。
大黒大橋から下るときもアクセルかなりふかしてるのでどうなることかと思った。
自販機の前にシルビアを止め、3人でジュースを買う。
またコーラ。マルもコーラ。旧友はファンタグレープ。
100円玉で買える冷たさ。冷えた缶コーラ握りしめ、歩道に座る。

大黒埠頭は風がある日はまだ良いのだが、空気がよどんでる日は悪臭が香る。
ゴムみたいな靴下みたいなにおいだ。
「おまえまだ単車乗ってんの?」
「いや乗ってない」
「あそう」
大黒の空はどこまでも黒く空気は悪いけど、ここに来ると少し解放感にひたれる。

遠い先のことを考えることもなかった。そもそも遠い先があるなんて知らなかった。
僕の知り合いはそれぞれにドライで、皆が皆この膨張しつづける港町の宿命の中、現実を受け入れゆったりと生きていた。
ふと見ると歩道と車道の隙間にたくましく植物が生えていた。
「タバコくれる?」
「ねーよ」
「買いにいこうぜ」
タバコ買いに行くときも運転は相当に危なかった。



maru_20111013031102.jpg


0 CommentsPosted in Yokohama

フェンスの向こうのアメリカ

05 22, 2010
僕は大学入学当初に、横浜の本牧に存在していた景色を忘れることができない。
あの街並み。
フェンスの向こうは、別種の人間たちの住む世界だった。

        Bill Chikering

        キャバレー Bill Chikering のスケッチ 1982

フェンスのこちらがわは、・・・・われわれの住む、極東アジアの掃き溜めのような街並みだった。
いや、本当に。
公正な目で見て、フェンスの向こうの住宅地と、フェンスのこちらの住宅地には、雲泥の差があった。
われわれの国が太平洋戦争に負けたことが、身に沁みてよく理解できる。



JR石川町駅・南口の 【裏出口】 のある、ひらがな商店街。
大学に入学してすぐに、僕はサイクルショップでまっ赤の無変速自転車を買った。
元町を、たらりたらりと自転車で流すためだ。
3万6千円。家賃より高かったが、かっこよかったので買ってしまった。

買って良かった。
元町のみならず、中華街や伊勢崎町、たまには桜木町や日の出町までも自転車は活躍した。
山下公園にもチャリで行った。海の風が気持ちいい。

残るは、石川町と元町を分かつ幹線道路を進んで、麦田トンネルの向こう側だった。

      本 牧 (HOMMOKU)    この魅惑的な響き

最初は 「ほんまき」 かと思ったが、アパートの大家さんが言うには 「ほんもく」 だった。

ある日僕は、元町のマクドナルドでマックシェイクを購入し、自転車で麦田トンネルを抜けた。
そこは、石川町・関内とは別の空気。ごちゃごちゃとした繁華とは言えない普通の下町の商店街だった。
さらに進む。
すると突然に、別世界が現れたのである。

   ◆ 本牧グラフィティ ◆

なんなんだ?ここは?
敷地のほとんどに敷かれた芝生。とても居心地のよさそうな間隔をあけて建てられた白い建物たち。
すでに米軍の敷地は日本に返還されることが決まっており、施設は誰も使っておらず、家々は誰も住んでなさそうだった。が、その頃はまだ、そこを歩いたり住んでたりしたアメリカ人たちの匂いが微かに残ってるような気がした。
山手警察の前から三溪園方面に続くアメリカ。そのコントラストの強さ。



それからというもの、本牧の米軍住宅に通ったものだ。
アパートの大家さんが 「おにいちゃん、本牧のアメリカ人の家、もうすぐ取り壊されるんだって」 って言ったからだ。~見れるうちに見ておこう~ 私はまっ赤なチャリのペダルを漕いだ。
石川町3丁目から本牧までチャリ、は良い運動になった。

やがてアメリカの風景が見る見るうちに消えていった。取り壊し作業は手際よかったと思う。
僕が原付のバイクを買うまでには、本牧にあったアメリカは跡形もなく消え去った。
僕が中型のバイクを買った頃も、米軍の跡地は空地のままだった。
なんとか入口を見つけ、フェンスの中に侵入しては、アメリカの残り香を探した。

坂道。 起伏。 緑地。 崖。 建物のあった痕跡。
僕は草地の上にたたずんでタバコに火をつける。
港からの風が木々の葉を揺さぶる。
戦後の日本占領統治のため、横浜にやってきたアメリカ人のことを考えたりした。
豊かな祖国を離れ、家族で極東の国へ。
そこはこまごまと、ちっちゃなちっちゃな家が建て込んだ港町だった。
yokohama

27年後。1972年。
ウィリアム・S・バロウズの小説「裸のランチ」に登場する男性器の張型 「Steely Dan III from Yokohama」 に由来するバンドがデビューを果たす。



0 CommentsPosted in Yokohama
プロフィール

babylonsist

Author:babylonsist
足の太い女は情が薄いらしい。

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
リンク
カテゴリ
最新記事
月別アーカイブ
06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  02  01  09  08  07  11  10  09  08 
全記事表示
最新コメント
RSSリンクの表示
QRコード
QR
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
★★★★ おすすめ記事一覧 ★★★★
拍手の多い順に記事を並べています。 おヒマな時にどうぞ。

   ↓ ↓ ↓ ↓
******* BIKE *******
******* TRAVEL *******
******* TRAVEL 2 *******
******* GIRLS *******
******* GIRLS 2 *******
******* GIRLS 3 *******
******* MUSIC *******
******* MUSIC 2 *******
******* MUSIC 3 *******
******* CARS *******
******* CARS 2 *******
******* CARS 3 *******
******* DIARY *******
******* DIARY 2 *******
******* DIARY 3 *******
******* DIARY 4 *******
******* DIARY 5 *******
******* DIARY 6 *******
******* DIARY 7 *******
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。